「わが町-溝の口」舞台上での新聞について 

山田 誠浩

 『わが町―溝の口』では第一幕の始めで、小田医師は配達の伍郎少年から渡された新聞を広げるのだが、稽古を続けるうち、その新聞が現在のものであることに違和感を抱きだした。上村さんが主筆をしていた「溝の口新報」がもしあれば、その明治34年5月7日頃のコピーを入手できないかと思った。395_za_yokohama

 溝の口あたりの当時の事情は、川崎市立中原図書館がいちばん詳しいと聞き、電話で「わが町―溝の口」を上演するので新聞のコピーが手に入らないかと相談したところ、1か月ほどして回答があった。私たちも目にしている「わが町―溝の口」の制作ノートを読みながら、いろいろ調べてくれたという。

 その結果、「溝の口新報」は実在せず、これはソーントン・ワイルダーの「わが町」を翻案するにあたって長岡輝子さんが創作されたもののようであるという。

 当時「東京日日」「東京朝日」「横浜貿易」(神奈川新聞の前身)「横浜日日」などの新聞が、溝の口あたりの人々に読まれていた可能性があり、上村さんのモデルとなった自由民権運動をしていた人のところには、いくつかの新聞が届いていただろうと思われる。

 住民の新聞購読調査は昭和初めのものしかなく、その時点では「東京日日」「東京朝日」は300部ほど「横浜貿易」「横浜日日」は数十部がこの地域で読まれていたようだ。そして明治のころの新聞のマイクロフィルム、または現物は桜木町の県立図書館かながわ資料室にあることなどを知らせてくれた。どこの誰とも分からない者のために「わが町―溝の口」を上演するというだけで、丁寧に調べてくださった中原図書館の人に感謝しつつ、早速県立図書館かながわ資料室に行った。20101225085815e40

 かながわ資料室には「東京日日」「東京朝日」「横浜貿易」のマイクロフィルムがあり、そこから明治34年5月7日の紙面をコピーすることができた。コピーしていてたまたま気付いたのだが「東京日日」のその日のあるページに、なんと「札幌農学校出身者に告ぐ。本月14日午前9時本校創立25年記念式を挙行候條参列相成度候也」という広告が出ているではないか。私たちはこういう時代を舞台で描こうとしているのだと心踊る思いでコピー作業をした。

 

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明治時代の新聞配達人

 「東京日日」「東京朝日」は現在の大きさと同じ、「横浜貿易」はやや小ぶりだが、紙面の組み方や活字は当時を偲ばせるものがある。

 A3コピー紙でのコピーのため継ぎ合わせる必要があり、その作業が済み次第持参し、稽古に使用するので是非皆さんのお目通しを・・・。  (了)